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学長室から:大学案内

第25号 安全と安心

2011年09月09日

日本列島は台風12号に直撃され、多くの死者を含む甚大な被害に見舞われました。東日本大震災からの復旧・復興もままならぬ中で、またも自然の猛威の凄まじさを思い知らされました。被害にお遭いになった皆様に心からお見舞い申し上げます。

自然災害のみならず、われわれは常にいろいろな危険にさらされています。大きくは戦争、テロや環境破壊、日常的には強盗、殺人、交通事故、インフルエンザ、食中毒など主に外部から受ける危険に加えて、喫煙、飲酒、肥満など自分自身で招く危険要因もあります。われわれは、正に危険に囲まれて生活しているのです。

最近、「安全・安心」をキーワードとする政策や研究活動が大きな課題になっています。これは、上記のような社会の危険が増大しているからだと思われます。

ところで、多くの場合、「安全・安心」という一つの言葉として使われています。しかし、安全と安心は全く別の意味ですから、これをいつも一緒に使うことに違和感を持つのは天邪鬼でしょうか。

安全は危険の反対で、危険が生じる恐れが無いことを意味しています。安全を保証するためには、客観的な事実に基づく必要があります。言い換えれば、科学的に安全であることを説明できねばなりません。科学的な説明をするなら、完全な安全、100%の安全を保証することはできません。安全とは、一般に確率的な事象であることを認識しておくことも必要です。

一方、安心は人々の心の状態で主観的なものです。安全が保障されていることと人々が安心することは必ずしも一致しません。悪い例で言えば、安全が全く保たれていなくても、その人にとって信頼できる人、絶対的な人が安全だと言えば、安心してしまう場合もあり得ます。逆に、客観的に安全であっても、信頼を失った人が言えば、人々はそれを信じようとせず、安心な気持ちにはなれないのです。簡単に言ってしまえば、安心感は信頼の下にのみ生まれます。このように、安全と安心は全く別の次元のことであり、安易に一つの言葉として使うことは、本質を見失うことになってしまうのではないでしょうか。

安全が安心に結びつくためには、科学的な根拠に基づく安全性を隠すことなくオープンにするコミュニケーションが必須です。その努力によって培われた信頼が基本になければ、「安全・安心」ということにはならないことを、科学技術に携わる者も為政者も常に心すべきだと思います。

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