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学長室から:大学案内

第26号 見える、見えない

2011年10月17日

最近、「見える化」という言葉がよく使われます。はやり言葉のようにさえなっています。「見える化」については、学術的な定義があるわけではなく、いろいろな意味で、いろいろな目的で使われているようです。実は、本学でも「電力見える化システム」と称して、本学の建物ごとの電力の使用量(1時間毎、1日毎の使用量をグラフ表示)などをホームぺージで公開しています。これにより、各職員や学生の節電への取り組みを促進しようと意図したものです。

「見える化」というのは、要するに、次の行動の判断に必要な情報を必要な時期に、正確に分かりやく公開することだと言えるでしょう。「見える化」の反対の「見えない化?」は、端的に言えば「隠すこと(隠ぺい)」であり、隠していなくても時期を逸したり、分かりにくい(理解し難い)開示では、隠すことと同じになってしまいます。われわれ大学人が反省しなければならないのは、学術的、科学的成果を一般の専門家以外の人々に伝える「見える化」を怠ってきたことにあります。

3.11の地震が原因で起こった原子力発電所の事故によって、放射性物質が広く飛散し、放射線による被害に対する不安が払拭できない状況にあります。不安を表現する際に、よく「放射線は見えませんから」という発言をよく耳にします。専門家と称する人の中にも、枕詞として使う人もいます。「放射線は見えないから怖い」という表現は、科学的な表現ではありません。「見えない」という意味が、もし「肉眼で見えない」ということなら、細菌もウィルスも同じです。細菌もウィルスも顕微鏡を使えば見えますし、放射線も放射線計を使えば計ることができます。仮に、細菌やウィルスあるいは放射線が見える眼鏡が発明され、それをつけたらどうなるでしょう。そこら辺りにうようよしている、細菌やウィルスが見えてしまって、不安は一層高まり、ノイローゼになってしまうでしょう。ほんとうに怖いのは、真実や科学的に正確な情報を知らせない(隠す)ことです。しかし、科学的に分かっていないことも多いのです。分かっていることと分かっていないことを正直に知らせて(見える化)ほしいものです。

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