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研究室紹介冊子OPAL‐RING 小木曽 研究室

制御理論でモノや人を自在に操る

掲載情報は2025年5月現在

所属 大学院情報理工学研究科
機械知能システム学専攻
小木曽 公尚
KOGISO Kiminao
メンバー 小木曽 公尚 教授
所属学会 計測自動制御学会、システム制御情報学会、日本機械学会、米電気電子学会(IEEE)
研究室HP https://www.kimilab.tokyo/member/1
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キーワード

制御理論、ゲーム理論、最適化理論、暗号理論、数理モデル、動的システム、暗号化制御、空気圧ゴム人工筋肉、制御技術・実装

自動車やロボット、ロケットなどの高性能な機械は何に基づいて制御されているのでしょうか。実は、熟練技術者の経験や勘、ノウハウに頼っている部分が大きいと言われています。しかし、こうしたいわゆる「暗黙知」は他人に伝えるのが困難です。それゆえにモノづくりの現場では、人材不足の背景もあり次世代への技能の伝承が課題になっています。

暗黙知を数理モデルに

ところが、そんな暗黙知もモノの動きの本質をとらえて数理モデルで記述する「制御理論」を使えば、その多くを表現することができます。制御理論が専門の小木曽公尚教授によれば、「制御理論に基づく制御工学こそ、モノづくりのエッセンスである」そうです。数理モデルにモノづくりのノウハウを落とし込めれば、世界中の人々が未来永劫(えいごう)そのモデルを利用することができるのです。
制御理論とはモノを自動で動かす(制御する)ための方法論であり、制御したいモノの動きを抽象化し、数理モデルで表現する学問です。制御装置を作る骨格となる理論といってもいいかもしれません。数理モデルを完成させることで、それを基にして最適な装置を作ることができるのです。

モデルベースのモノづくり

小木曽教授はこれまでに、身体の動きを補助するパワーアシストスーツや介助ロボット、リハビリシステムなどに使われる「人工筋肉」の数理モデルを提案してきました。人工筋肉は、ゴムのような弾性材のチューブに空気を入れると動力を得る柔らかいアクチュエータ(駆動装置)です。数理モデルを用いたシミュレーションと、試作した人工筋肉装置による実験結果がほぼ一致することから、得られた数理モデルの高い有効性を確認しています。

最適な数理モデルを打ち立てるまでにはかなりの時間を要しますが、いったんモデルが出来上がりさえすれば、あらゆるパターンを表すことができます。「数理モデルを使えば、機械要素の設計が効率的かつ高精度に行えるようになり、モノづくりの高性能化につながる」と小木曽教授は考えています。
例えば、センサは多くの制御装置に組み込まれていますが、高価であったり搭載することによって装置が煩雑になったりするデメリットがあります。数理モデルを使えば、1本の人工筋肉から多数本の人工筋肉ユニットを使ったものまで、位置や力、剛性を同時に制御できる柔軟な駆動装置が作れるため、センサが不要になるのです。それだけでなく、数理モデルによって装置の状態やパラメータが推定できることから、経年劣化や故障の検知まで可能になります。
小木曽教授は実際にこうした制御装置を作り、自在に力の強弱をつけられる柔軟な動きを確認しています。近い将来、センサレスの柔軟なロボットアームなどが実現するかもしれません。

日本発の“暗号化制御”

近年、特に力を入れているのが制御装置の安全な実装方法の研究です。制御理論と暗号理論を融合した「暗号化制御」は、小木曽教授が2015年に世界で初めて提唱し、それから相次いで関連研究が立ち上がりました。工場などの産業用機器に組み込まれている制御装置は、今や多くがネットワークにつながっており、サイバー攻撃の脅威から逃れられなくなっています。しかし、ネットワークの通信路の安全性がある程度保証されているのに対し、制御装置の内部では情報が裸のまま処理されているのです。
そこで小木曽教授は制御の分野にいち早く暗号理論を導入し、内部の情報を暗号化したまま制御装置を駆動できる特殊な暗号方式を考案しました。ミリ秒単位の高速な処理精度で動く制御装置を暗号化することのメリットは、装置の秘匿化にとどまりません。盗聴などのサイバー攻撃をリアルタイムに検知できるほか、機械を分解するなどして製品の設計図を明らかにするリバースエンジニアリング対策にも有効だそうです。

クラウドコンピューティングやエッジコンピューティング向けなどの暗号理論の研究は世界中で盛んですが、より仕様の厳しい制御装置に暗号理論を取り入れようとする研究はそれまでほとんどありませんでした。小木曽教授は理論提案だけでなく、暗号化制御を実装した世界初の実機を国際会議で発表しました。最近では、鍵長256ビットの暗号を搭載し、制御システムの性能を落とさずに、リアルタイムで精密な位置決めを行うステージ制御を実現するなど、企業との共同研究を通じて産業機器への導入を進めています。
さらに、遠隔手術などへの適用を見すえ、暗号化した2台のロボットアームの制御系をネットワークでつなぎ、遠隔操作により触覚や力覚を伝えるバイラテラル制御の実験にも成功しました。東京大学とは、手術支援ロボットに暗号化制御の枠組みを実装する共同研究を行っています。そのほか、ドローンの制御系や人工筋肉の制御器などに暗号化制御を導入したり、鍵を更新可能なより安全性の高い「鍵付き準同型暗号方式」の開発に取り組んだりしています。

更新可能な鍵付き準同型暗号方式による暗号化制御系

暗号化制御が新しい学問分野として定着し、小木曽教授は「電動化が進む自動車や産業用ロボット、ドローンなどのモノづくり産業に加え、将来は手術支援ロボットなど医療の領域でもセキュリティ強化のための暗号化制御が必須になるだろう」と見通しています。まだ多くの日本企業が制御装置の暗号化にまで意識が向いていませんが、モノづくりの現場に情報科学の専門家を早急に送り込むとともに、今後は、暗号化制御分野における人材やリーダーの育成が重要になると小木曽教授は考えています。

ゲーム理論に導入

もっとも、制御理論の応用先はモノづくりに限りません。小木曽教授は人の意思決定を制御するための数理モデル作りも行っています。オークションなどにも使われているよく知られる「ゲーム理論」は、利害の対立する集団の行動を数学的にとらえる理論で、現在の経済学における有力な手法になっています。しかし、ゲーム理論は通常、ゲームに参加する各プレーヤーが相手に対して最適な戦略を取っている均衡状態をモデル化するものであって、そこに「制御する」という発想はほとんどありません。
小木曽教授はゲーム理論に制御理論の手法を導入し、ゲームを制御する、いわばゲームデザインを行うことを目指しました。一例として、人間らしさの一つである人の感情を心理学の観点から分類し、その変化の様子をモデル化しています。ある事例を基に、感情の強度がしきい値を超えると、人は非合理的な意思決定をすることをモデルで再現しました。
今後、周囲の情報環境から人の感情をセンシングできるようになれば、こうしたモデルを実装したシステムが適切なタイミングで人をほめたり、助言したりといった働きかけが可能になるかもしれません。制御理論はこのように人間を幸せにするツールとしても使えるのです。小木曽教授は「エンジニアリングに限らずに、制御理論を多方面へ輸出することが研究者としての役目だ」ととらえています。

【取材・文=藤木信穂】