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【ニュースリリース】世界で最も精緻な仮想脳シミュレーションの一つが脳研究のあり方を変えようとする~毎秒数千兆回の計算能力を持つスーパーコンピュータでマウスの大脳皮質をシミュレート~

2025.11.18

※本文書は、米国Allen研究所からリリースされるものを、日本側研究代表者の山﨑匡准教授(情報・ネットワーク工学専攻)が日本国内向けに翻訳・編集したものです。

世界最速級のスーパーコンピュータの圧倒的な計算能力を駆使し、研究者たちは、動物の脳シミュレーションとして、これまでで最大かつ最も精緻な「生物物理学的に詳細な」モデルを構築しました。このマウスの大脳皮質全体を仮想的に再現したモデルは、脳研究に新たな道を開くものです。仮想世界でアルツハイマー病やてんかんといった疾患をシミュレートし、損傷が神経ネットワークをどのように広がっていくかを詳細に観察したり、認知や意識のメカニズムを解明したりすることが可能になると期待されます。このシミュレーションは、約1,000万のニューロン(神経細胞)、260億のシナプス(神経接続部)、そして相互に接続された86の脳領域を持ち、その形態と機能の両方を再現しています(図1)。

図1:マウス全大脳皮質シミュレーション〔1〕

この目覚ましい成果は、日本のフラッグシップスーパーコンピュータ「富岳」によってもたらされました。「富岳」は毎秒数千兆回という、瞬きする間もないほどの速度で膨大なデータを処理できます。このプロジェクトは、米国Allen研究所のAnton Arkhipov博士が率いる研究チームと、山﨑匡准教授(情報・ネットワーク工学専攻)が率いる研究チームが、高度情報科学技術研究機構・山口大学・理化学研究所計算科学研究センターと協力して実施しました。この成果は、11月16(日)〜21日(金)に米国ミズーリ州セントルイスで開催されるスーパーコンピューティングに関する世界最高峰の国際会議の一つSC'25にて、論文で発表される予定です〔1〕。

科学者たちは、このマウス大脳皮質モデルを用いることで、「疾患において何が起きているのか。」「特定の脳波のパターンはどのように形作られるのか。」「てんかんの発作は脳内でどう広がるのか。」といった詳細な問いを立て、その仮説を検証することができるようになると期待しています。これまで、これらの問いは実際の脳組織を使い、一度に一つの実験でしか検証できませんでした。しかし今や、研究者たちは仮説を仮想空間で検証できるのです。こうしたシミュレーションは、脳障害の解明にも役立つと期待されます。症状が現れる前に問題がどのように始まるかを突き止め、デジタル環境で安全に新しい治療法を試すことすら可能になる未来に近づきます。

米国側研究代表者であるAllen研究所のAnton Arkhipov博士は、「これは、新たな可能性への扉が開かれたことを示しています。十分な計算能力さえあれば、この種の脳シミュレーションを効率的に実行できるのです。」と語ります。「これは技術的な金字塔であり、はるかに大規模なモデルも可能であるばかりか、高い精度とスケールで実現可能だという自信を与えてくれました。」

この国際共同研究は、人類の神経科学における専門知識と、コンピュータの驚異的な計算能力とを融合させたものです。Allen研究所が「Allen Cell Types Database」および「Allen Connectivity Atlas」の実データに基づき、仮想脳の設計図と生物物理学的な特性を提供、そして日本の「富岳」が、そのデータに命を吹き込みました。

大脳皮質全体のシミュレーションはいかにして作られたか

日本の理化学研究所と富士通が共同開発した「富岳」は、毎秒40京回を超える演算性能を持つ、世界最速級のコンピュータです。この数字がどれほど途方もないものかと言うと、もし今から毎秒1つずつ数を数え始めたとしても、40京に達するには127億年以上かかります(宇宙の年齢が約138億年です)。「富岳」という名前は富士山に由来し、その日本一高い山頂と雄大な裾野が象徴するように、その圧倒的な性能と幅広い応用分野への広がりを表しています。山﨑准教授は、「『富岳』は天文学、気象学、創薬など、幅広い計算科学分野の研究に活用され、多くの社会課題の解決に貢献しています。今回は、この『富岳』を神経回路のシミュレーションに活用しました。」と述べます。

「富岳」はノードと呼ばれる数千の小型部品で構成され、それらがユニット、シェルフ、ラックといった単位で層状にグループ化されています。これらのコンポーネントを合計すると158,976ノードにもなり、これにより「富岳」は膨大なデータ量と計算処理を可能にしています。チームは、Allen研究所の「Brain Modeling ToolKit」を用い、データを動作する大脳皮質のデジタルシミュレーションへと変換しました。そして電気通信大学で開発している生物物理学的神経回路シミュレータ「Neulite」が、その数式を、生きた細胞さながらに発火し、信号を送り、情報を伝え合うニューロンへと変えたのです。

シミュレートされたマウスの大脳皮質を観察することは、まるで生物学的な活動をリアルタイムで見ているかのようです。そこでは、ニューロンから伸びる樹状突起、シナプス(上流のニューロンからのメッセージを下流のニューロンの分岐へと伝える微小な接点)の活動、そして細胞膜を行き交う電気信号の変動に至るまで、脳細胞の実際の構造と振る舞いが捉えられています。「これはテクノロジーの勝利ですが、まだ第一歩に過ぎません。『神は細部に宿る』と言いますから、生物物理学的に詳細なモデルにも宿ると信じています。」と山﨑准教授は語ります。

Arkhipov博士も次のように続けます。「私たちの長期的な目標は、研究所が解明しつつある生物学的な詳細情報をすべて盛り込み、全脳モデル、将来的にはヒトの脳モデルを構築することです。私たちは今、単一の脳領域のモデル化から、マウスの脳全体のシミュレーションへと駒を進めているのです。」。このような強大な計算能力を手にした今、生物物理学的に精緻な全脳モデルの構築という目標は、もはやサイエンスフィクション(SF)の話ではありません。科学者たちは、「脳を理解する」ことが、文字通り「脳を構築する」ことと等しくなる、新たなフロンティアに立っています。

この最先端の研究は、Allen研究所のLaura Green博士、Beatriz Herrera博士、Kael Dai氏、電気通信大学の栗山 凜 修士、秋良 花綾 博士を含む国際的なチームによって実現されました。

(発表情報)

〔1〕Rin Kuriyama*, Kaaya Akira*, Laura Green, Beatriz Herrera, Kael Dai, Mari Iura, Gilles Gouaillardet, Asako Terasawa, Taira Kobayashi, Jun Igarashi, Anton Arkhipov, Tadashi Yamazaki.
Microscopic-Level Mouse Whole Cortex Simulation Composed of 9 Million Biophysical Neurons and 26 Billion Synapses on the Supercomputer Fugaku, in The International Conference for High Performance Computing, Networking, Storage and Analysis (SC '25), November 16-21, 2025, St Louis, MO, USA.
ACM, New York, NY, USA, 11 pages. (*: Equally contributed). doi: 10.1145/3712285.3759819.

外部資金等情報

本研究は、文部科学省/日本学術振興会 科学研究費助成事業(KAKENHI JP22H05161, JP22H00460, JP22KJ1372, JP24K22335)、内藤財団、日本科学協会 笹川科学研究助成、情報科学国際交流財団(2025.1.2.212)、日本医療研究開発機構(AMED)脳神経科学統合プログラム(課題名:ボトムアップでヒトデジタル脳を構築するための局所神経回路構造の複雑さに関する多種多階層スケーリング技術の開発)、米国国立衛生研究所(NIH)国立神経疾患・脳卒中研究所(R01NS122742, U24NS124001)、米国国立衛生研究所(NIH)国立生物医学画像・生物工学研究所(R01EB029813)、米国国立衛生研究所(NIH)国立精神衛生研究所(U01MH130907)、および米国国立科学財団(2209873)の支援を受けました。スーパーコンピュータ「富岳」の計算資源は、文部科学省「富岳」成果創出加速プログラム(hp220162, hp230206, hp240214, hp250231)を通じて提供されました。「富岳」の全系規模実行(hp240214)では、高度利用者支援プログラムとして、高度情報科学技術研究機構(RIST)による技術支援を受けました。

詳細はPDFでご確認ください。

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